復帰52年 第47回 5・15沖縄平和行進 (2024/05/18)
1972年(昭和47年)5月15日は沖縄が本土への復帰を果たした日です。沖縄では本土への復帰を果たした5月15日前後に行われる平和行進は1978年に始まり、今年で47年目となります。
今年は5月18日、沖縄県で基地負担軽減を求める「平和行進」が取組まれました。在日米軍専用施設の約7割が集中する中、自衛隊は近年、台湾有事などを念頭に沖縄で防衛力を強化しています。
2300人を超える参加者は2コースに分かれて宜野湾市役所を出発。普天間飛行場の第3ゲート前を通り「沖縄を戦場にさせない」「自衛隊の増強を許さない」と抗議アピ−ルを繰り返しながら「基地のない平和な島」の実現を願い、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の周りを行進しました。

写真は沖縄タイムスより
終了後には県民大会を開催しました。
県内の在日米軍専用施設は約1万8453ヘクタール(2022年3月末現在)で、国土面積の約0.6%の沖縄に全国の70.3%が集中しています。
政府は九州・沖縄の防衛力を強化する「南西シフト」を進めており、自衛隊施設の面積は復帰時の約4.7倍に拡大しています。
「5・15沖縄平和行進」に参加して
1.壮観な平和行進
私は9年前の2015年に参加しているので今回で2回目でした。9年前と違うところは日程が短縮された事です。
9年前は、1日目:広島から沖縄へ、昼から全国結団式。
2日目:平和行進(大浦湾から辺野古新基地建設ゲートまで)と、座り込みの抗議行動。
3日目:宜野湾市役所から北・南コースに分かれて米軍普天間飛行場包囲行進。午後から広島県のフィールドワーク(平和学習)。
4日目:午前中移動、午後からセルラースタジアム那覇で「止めよう辺野古新基地建設!県民大会」開かれ3万4,000人が参加。
5日目:午前中自由行動、昼から沖縄から広島へという日程で4泊5日でした。
具体的には、大浦湾から辺野古新基地建設ゲートまでの平和行進がなくなり、宜野湾市役所から北・南コースに分かれて米軍普天間飛行場包囲行進と県民集会(2,300人の参加)が1日に圧縮されました。
コロナの関係等もあり、昨年も同じ2泊3日の日程だったそうです。
取組が始まったころは3日間の平和行進、宿泊は公民館で一斉宿泊とかなりハードな日程だったように聞いており、行動日程の見直しも図られていると思います。
それにしても2300人の行進は壮観でした。

2.あきらめないことが勝つことだ!
玉城デニー知事は、「復帰から52年が経過した今も『広大な米軍基地の存在が沖縄の振興の障害』となっています。航空機騒音や事故、環境破壊、米軍人軍属等による事件事故などが県民生活に不安を与えています。普天間飛行場の辺野古移設は県民の理解を得ないまま強行されています。平和の樹立があってこそ安定した経済活動の推進につながり、明るい将来を展望できます。沖縄戦で得た教訓を正しく次世代に伝え、平和を希求する沖縄の心『ちむぐくる』を世界に発信していきます。負けてはならない。あきらめないことが勝つことだ。力を合わせて頑張っていこう!」と力強く発しました。
さらに、幸地一 実行委共同代表の主催者あいさつで、ラーム・エマニュエル駐日米大使が米軍機で日本最西端の町、与那国町、石垣島を訪問したことについて触れ、「沖縄県が軍用機での空港使用を自粛するようを再三申し入れたにもかかわらず、使用を強行したことは許されない。戦争に巻き込まれるのではと不安を抱く住民感情を逆なでするこのような訪問の仕方は、外交官にあるまじき横暴な振る舞いだ。中国を挑発するような言動で日本周辺の緊張を高める事はもってのほかだ。沖縄は『軍事植民地』ではない。米中対立の最前線に南西諸島を位置づけ、沖縄の島々を自由に利用しようとする日米の一体化路線に歯止めを掛けなければならない!」と抗議しました。
改めて沖縄を孤立させてはならないと思いました。広島からの参加者は21名でした。

平和行進に参加した広島の仲間
報告:小川敏男